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岐阜地方裁判所大垣支部 昭和58年(ワ)110号 判決 1985年8月08日

原告

野原吉雅

ほか二名

被告

樋口忍

ほか一名

主文

被告らは、各自、原告兼亡野原太郎訴訟承継人野原吉雅、同野原太二雄及び同小寺保美に対してそれぞれ金一四八万二七三〇円をこれらの金員に対していずれも昭和五五年五月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を付加して支払え。

原告らのその余の各請求はこれを棄却する。

訴訟費用は九分し、その七を原告らの、その余を被告らの各負担とする。

この判決は、原告らの勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告野原太郎に金六九五万一五八七円同野原吉雅に金四〇九万四三九一円、同野原太二雄に金四〇九万四三九一円、同小寺保美に金四〇九万四五八七円及びこれらに対する昭和五五年五月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1(一)  被告樋口忍は、昭和五五年五月二七日午前八時一〇分頃、岐阜県揖斐郡揖斐川町下岡島字川向三二〇―二の揖斐川左岸堤防上の道路において、小型乗用自動車を運転して南進中に道路中央部を越えて反対車線内に侵入したため、折から道路の西端を歩いていた野原保江(当時六一歳、大正八年五月三日生―以下、亡保江という。)に自車の前部を衝突させ、その結果、同女をその現場で即死するに至らしめた。

(二)  亡野原太郎(以下、亡太郎という。)は亡保江の夫であり、原告野原吉雅、同野原太二雄及び同小寺保美らは亡保江の子供である。

なお、亡太郎は、本訴を提起しその係属中である昭和五九年五月一日死亡したため、相続により、その権利義務を直系卑属である原告吉雅、同太二雄及び同保美の三名が各三分の一の割合で承継し、本訴を受継した。

2(一)  被告忍は、自動車を運転する者として前方をよく注視して運転すべき注意義務があるところ、これを怠つてわき見運転した結果、自車を道路の中心線を越えて反対車線に侵入させ本件事故を起こしたものであつて、同事故は被告忍のわき見運転という注意義務違反が直接の原因となつていることは明らかである。

したがつて、被告忍は、民法七〇九条により、亡太郎及び原告らが蒙つた後記損害を賠償する責任がある。

(二)  被告樋口年之は被告忍の父親であるが、本件事故を起こした前記加害自動車の保有者であり、被告らは日頃より同車を交互に運転していたものである。

本件事故も同車を運行の用に供する被告年之がその運行によって生ぜしめた事故というべきであつて、同被告は、自動車損害賠償保障法第三条により、原告らが蒙つた後記損害を賠償する責任がある。

3  亡太郎及び原告らが本件事故によつて蒙つた損害は次のとおりである。

(一) 亡保江の逸失利益

(1) 賃金と農業収入の喪失

賃金センサス(産業計・企業規模計・学歴計)によると、昭和五五、五六年度における六〇ないし六四歳の女子労働者の年収は金一七六万七九〇〇円であり、昭和五七年度におけるそれは金一九七万九二〇〇円である。したがつて、亡保江の昭和五五、五六年における賃金収入の喪失額は合計金三五三万五八〇〇円であり、昭和五七年から同女が満七一歳に達するまでの間の賃金収入の喪失額は、金一二〇四万〇四六三円〔1,979,200円×(7.9449-1.8614)〕となり、結局、賃金収入の総喪失額は合計金一五五七万六二六三円になる。

また、亡保江の夫である亡太郎は五反余の茶畑を保有していたのであるが、同人は病弱で通院治療を受けていたため、亡保江が専ら畑仕事を行つてきた。そして、農業による収入は昭和五四年度が金二〇万七四〇〇円であつた。したがつて、亡保江が本件事故に遭遇しなければ満七一歳に達するまで毎年少くとも金二〇万七四〇〇円を下らない農業収入を亡保江が得たであろうことは確実であり、同女の本件事故による農業収入の喪失額の合計は金一六四万七五八五円(207,400円×7.944)となる。

そこで、亡保江の賃金及び農業収入による喪失額の合計は金一七二二万三八四八円になるのであるが、亡保江の生活費としてその四〇パーセントを控除するのが相当であるので、結局、右喪失額は金一〇三三万四三〇八円になる。

(2) 年金収入の喪失

亡保江は厚生年金保険の通算老齢年金の支給を受けていた者であり、本件事故に遭遇しなければ、昭和五五年度には金三六万一四〇〇円、昭和五六年度は金三八万九五八九円(スライド率一・〇七八)、昭和五七年度は一二万四九九八円(同一・一二二)、そして昭和五八年度から昭和七五年度までの一七年間には金四二七万三六六一円〔405,490円×(14.1038-3.5643)〕の合計金五四三万〇一四〇円になる厚生年金の通算老齢年金の支給を受けたはずである。

また、亡保江は、国民年金として、昭和五五年度には金九万九三七二円、昭和五六年度には金一〇万七一二三円、昭和五七年度には金一二万四九九八円がそれぞれ支給され、昭和五九年から昭和七五年までの一七年間で金一三一万七四一六円〔124,998円×(14.1038-3.5643)〕の支給が予定されていた。

したがつて、亡保江は、本件事故によつて死亡したことにより、合計金七一九万〇四五六円の年金収入を喪失したことになる。

(3) 以上のとおり、亡保江の逸失利益の総合計は金一七五二万四七六四円となるところ、亡太郎、原告吉雅、同太二雄及び同保美らは、亡保江の相続人として、同女の被告らに対するこれが損害賠償請求権をそれぞれ三分の一、九分の二、九分の二、九分の二の各割合で取得した。

(二) 慰謝料

亡保江は、当時夫の亡太郎と二人暮らしであつたが夫が病弱なため一家の支柱的立場にあつた。したがつて、亡保江の死は原告らに大きな影響を与え、特に、亡太郎は、亡保江の死後七日にシヨツクで脳症となり、一か月半入院し一時は重態となり、退院後も四、五か月は自宅で療養を余儀なくされ、原告吉雅、同太二雄及び同保美らが交替で看護等の面倒をみてきた。このように、亡太郎及び原告らの亡保江の死亡による精神的苦痛は極めて大であり、これを金銭をもつて評価することは困難であるけれども、あえて評価するとすれば、亡太郎については金五〇〇万円、原告吉雅、同太二雄及び同保美らについては各金三三〇万円を下ることはない。

(三) 葬儀代

亡太郎は亡保江の葬儀費用として金五〇万円を下らない出捐をした。

(四) 弁護士費用

本件事故により、自動車損害賠償保険から金一二五九万円、被告らから損害賠償金の内金二〇〇万円をそれぞれ支払われたが、被告らはその余の損害金の支払いにつき誠意ある態度を示さない。そこで、原告らはやむを得ず弁護士に訴訟を委任し、金九〇万円(着手金二〇万円、報酬七〇万円)の支払いを約束し、亡太郎が金三〇万円、その余の原告らが各金二〇万円宛を負担することとなつた。

4  被告らは、本件事故に関し合計金一四五九万円を支払つたので、内金四六九万円は亡太郎の慰謝料の一部に、その余の金九九〇万円についてはその余の原告ら三名の慰謝料金三三〇万円の支払いにそれぞれ充当した。

5  以上により、被告らは、各自、亡太郎に対し金六九五万一五八七円、原告吉雅、同太二雄に対し各金四〇九万四三九一円、同保美に対し金四〇九万四五八七円の損害賠償金とこれらに対する本件事故の翌日から支払ずみまで民法所定の割合による遅延損害金の支払義務がある。

よつて、原告らは請求の趣旨記載のとおりの判決を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の各事実は認める。

2  同2の(一)の事実は認め、同2の(二)の事実は否認する。

本件事故車両は被告忍が通勤用に使用していたものである。

3  同3の(一)の各事実中、その主張の年度における賃金センサスの額、亡太郎が生前に心臓、血庄が悪かつた事実は認めるが、その余は争う。

亡保江の逸失利益の計算の基礎をなす賃金については昭和五五年度の平均賃金によるべきであり、また、亡保江の総体としての労働能力を評価して賃金センサスの平均賃金を逸失利益の計算の基礎とするのであるから、農業収入の喪失をも逸失利益の計算の基礎とするのは失当であるばかりか、そもそも農業収入は原告方の所有する茶畑の資本利得という側面もある。生活費控除は五〇パーセント以上とすべきであり、就労可能年数も亡保江がすでに長年勤務した「日東あられ」を定年退職していることを考えると七一歳までとするのは失当である。

また、老齢年金の受給権は一身専属権であり、その受給は受給権者の稼働能力とは無関係であるから、受給権の消滅は逸失利益とはならない。仮にそうでなくても、厚生年金は一定の収入のある場合には支給年金額が減額されるのであるから、原告らが他方で賃金収入の喪失を主張する以上得べかりし支給年金額もその限りにおいて減額されなければならないし、一般に年金は本人の拠出金のみに基づくものではなく、公的扶助金としての性格を有し、その一部は国庫負担となつているのであるから、その限りにおいて逸失利益算出の基礎とすべきではなく、さらに計算の基礎をなす年金は、事故のあつた昭和五五年の年金額を基準とすべきであるが、昭和五六、五七年度分の年金額を計算に利用するときは少なくとも中間利息はこれを控除すべきである。なお、年金収入についても少くとも五〇パーセントの生活費控除は行われるべきであり、また、すでに給付を受けている死亡一時金二万三〇〇〇円も控除されるべきである。

請求原因3の(二)ないし(四)は争う。

4  同4の事実中、被告らが原告らに対し、金一四五九万円を支払つたことは認める。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録、証人等目録に各記載のとおりであるのでこれを引用する。

理由

一  請求原因1の各事実及び同2の(一)の事実は各当事者間で争いがない。

そして、被告樋口年之本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、被告年之は被告忍の父親であり、被告忍が本件事故時に運転していた本件加害車は、被告年之が昭和五三年一一月頃に妻のつたえ名義で買い求めたものであり、それ以来、被告年之において主として営業用として運転、利用されてきたのであるが、昭和五五年三月、被告忍が高校を卒業して就職したことにより、その頃より、本件加害車は主として被告忍が通勤用に使用するようになつたものの、同被告が使用しないときには、被告年之がやはり従前どおりこれを営業のために利用することがあつたものであり、燃料費、その他の維持費等は専ら被告年之が負担して現在に至つていることが認められ、右事実によると、本件事故は、被告年之が自己のために本件加害車を運行の用に供し、その運行によつて生じた事故というべきである。

そうであれば、被告忍は民法七〇九条により、被告年之は自動車損害賠償保障法三条本文により、それぞれ本件事故によつて生じた損害を賠償すべき責任がある。

二  そこで、亡太郎及び原告らが本件事故によつて蒙つた損害について検討する。

1  亡保江の逸失利益

(一)  成立に争いのない甲第二号証、第三号証の一、二及び原告野原吉雅本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によると、亡保江は、大正八年五月三日生れの義務教育卒業の学歴を有する健康な女性であつて、本件事故の直前である昭和五五年三月にこれまで勤務してきた「日東あられ」を定年退職(昭和五四年度の給料は年収金一二一万八九六七円であつた。)し、事故当時は日常家事に従事する他、亡太郎の保有する約五反歩の畑において、病弱の夫に代つて専ら茶の栽培などの農作業に従事し、年間金二〇万七四〇〇円の農業収入をあげていたことが認められる。ところで、生命侵害による逸失利益の損害を、その事故がなかつたならば被害者が取得できたはずの現実的な利益ないし所得の喪失(所得喪失説)と考える限り、亡保江は、右認定の事実により明らかなとおり、せいぜいわずかな農業収入の喪失(ただし、年金受給の喪失の点については後述する。)があつたにすぎないのであるけれども、亡保江は、本件事故により、なお就労可能な稼働能力それ自体を喪失したことも明白であり、少くとも、この喪失は本件事故による損害として当然に評価する必要があるというべきである。そうだとすると、亡保江は、本件事故当時満六一歳であつたから、少くとも当裁判所に顕著な平均余命年数の二分の一に当る満七一歳に達するまでの一〇年間は稼働が可能であつたと考えるを相当とすべく、この間の稼働能力喪失による逸失利益の現価の計算は、やはり当裁判所に顕著な昭和五五年度における「賃金構造基本統計調査報告」第一巻・第一表の産業計、企業規模計、小学・新中学女子労働者(六〇ないし六四歳)の平均賃金(年収)一五一万四二〇〇円に依拠することにし、亡保江の生活費控除を四〇パーセントとみたうえ、新ホフマン方式による中間利息を控除すれば、

1,514,200(1-0.4)×7.945(ホフマン係数)

の計算式によつて、亡保江の稼働能力を喪失したことによる損害額の現価は、計算上、金七二一万八一九一円になる。

ところで、原告らは、亡保江が生前に得ていた前記農業収入も同女の逸失利益として計算すべきである旨主張するが、さきに述べたとおり、逸失利益の損害を、現実的な利益ないし所得の喪失による損害と考えないで、抽象的な稼働能力の喪失による損害と考える限り、その稼働能力は農作業能力も含めた総体としての稼働能力を意味するのであつて、前記のとおり、その総体としての稼働能力の喪失による損害を賃金センサスによる平均賃金に基づき計算した以上、重ねて農業収入も亡保江の逸失利益として計算するのは相当でなく、原告らの右主張は到底採用できない。

(二) 原告らは、亡保江が支給され、あるいは支給を予定されていた厚生年金保険の通算老齢年金及び国民年金は本件事故によつて受給できなくなり、これらの受給できなくなつた各年金の相当額も本件事故によつて生じた亡保江の逸失利益である、旨主張するので更に検討する。

不法行為に基づく損害の一部としての逸失利益とは、前述したように被害者の稼働能力が事故によつて毀損したことによる損害を意味すると解すべきであるから、逸失利益はその性質上本来労務の対価でもあり、稼働能力と無関係な所得は当然逸失利益算定の基礎から除外されなければならないことになるところ、厚生年金保険による通算老齢年金は、厚生年金保険法一条の同法の目的に鑑みても明らかなように、受給者本人及びその者の収入に依存する家族に対する損失補償ないしは生活保障のために支給されるものであつて、受給権者の稼働能力とは無関係に得られる収益であるというべきであるし、国民年金についても、国民年金法一条、二条による制度の目的に照らし、その性質が右通算老齢年金のそれと同じく受給権者の稼働能力と無関係に得られる収益であるということは明らかであり、そうであれば、亡保江が本件事故によつて通算老齢年金及び国民年金の支給を受けられなくなつたとしても、これをもつて逸失利益となし、その損害を加害者である被告らに請求することは許されないといわねばならなく、この点についての原告らの主張はその余の部分につき判断するまでもなく理由がないことにならざるを得ない。

(三) 亡保江の逸失利益金七二一万八一九一円の損害賠償請求権は、同女の死亡により亡太郎及び原告らがその法定相続分の割合で相続によりこれを取得したことは当事者間で争いがないので、右請求権のうち、亡太郎は金二四〇万六〇六四円の、原告ら三名は各金一六〇万四〇四二円の被告らに対する損害賠償請求権を取得した。

2  慰謝料

亡保江が被告忍の一方的過失ともいえる本件事故により一瞬にして命を奪われたことにより、その夫である亡太郎は勿論のこと、子である原告らの受けたであろう精神的苦痛が極めて甚大なものであつたことは容易に推認し得るところであり、その他本件記録に顕われた一切の事情を勘案すると、本件事故によつて蒙つた精神的苦痛を金銭をもつて慰謝するとすれば、亡太郎に対しては金五〇〇万円、原告吉雅、同太二雄及び同保美に対しては金二〇〇万円をもつて相当とする。

3  葬儀費用

亡太郎が亡保江の葬儀費用として相当額を出捐したであろうことは弁論の全趣旨によつて認められるところ、そのうち金五〇万円の限度をもつて本件事故に起因して生じた損害と認めるを相当とする。

4  亡太郎及び原告らは、本件事故に関し、自動車損害賠償責任保険等より合計金一四五九万円の支払いを受けたことは当事者間に争いがないので、法定相続分に従つて、このうちの金四八六万三三三四円を亡太郎が、各金三二四万二二二二円を原告らがそれぞれ前記1ないし3の損害の一部に各充当したものとみなす。

5  亡太郎及び原告らは、本件原告ら訴訟代理人に訴訟の提起及び追行を委任し、その費用、報酬として相当額の支払いを約束したことは原告野原吉雅本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によつて認められるところ、本件訴訟追行上の難易度、被告ら側の応訴態度及び認容額等に照らすと、そのうちの金三二万円(ただし、亡太郎は金二〇万円、原告らは各金四万円を各負担)の限度で本件事故と相当因果関係の範囲内の損害とみるを相当とすべきである。

6  以上により、前記1ないし3の損害額から4の金額を控除したうえ、5の金額を加えると、亡太郎の被告らに請求し得る損害額は金三二四万二七三〇円、原告らのそれは各金四〇万一八二〇円となる。

三  ところで、亡太郎が本訴提起し、その係属中に死亡したことは本件記録及び訴訟承継届添付の戸籍謄本によつて明らかであり、亡太郎の権利義務をその相続人として各三分の一宛原告らが承継し、亡太郎の被告らに請求し得べき前記損害賠償債権金三二四万二七三〇円についても原告らが各金一〇八万〇九一〇円宛承継したものというべきである。

四  以上の次第によると、被告らは原告らに対し、各自それぞれ本件事故による損害賠償債務として金一四八万二七三〇円を負担していることとなり、原告らの本訴請求は、右各金員と本件事故の日の翌日から支払ずみまで民法所定の遅延損害金の支払いを求める限度で理由があることになる。

よつて、本訴請求は右限度でこれを認容し、その余は失当として棄却し、民訴法八九条、九二条、九三条、一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 大橋英夫)

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